人生の主導権を取り戻すということ
どうも、そらいろですヽ(・∀・)ノ
皆さんは、私達の生活しているこの世界が、一部の人達によって都合の良い世界に作られていると言ったら信じますか。
私達は実は、一部の人達からすれば奴隷同然のような存在であり、そのような仕組みの中で強制的に生かされていると言ったら、信じますか。
「何を言っているんだ。この世界は初めからこうだった。争いはいつの世にも無くならない。それでも一生懸命に生きていくのが、人間として生まれた務めだろう」
「発展途上の国ならまだしも、先進国においては奴隷なんていうものは当の昔に消え去った古い制度だろう」
そんな風に嘲笑する人もいるかも知れませんね。
確かに上記の事は一つの事実ではあります。
奴隷制度は、少なくとも近代の日本においてはとうの昔に消え去ったもの。
そして、どのような理不尽があろうとも、争いが決して無くならないとしても。
人間としてここに生まれた以上は、私達は一人の例外も無く一生懸命に生きる義務があります。
ですが、私が今回お話するのはそういった「一般論」ではなく。
きっと多くの人達が未だ知らないであろう「真実」についてです。

疑問に思った事はありませんか。
何故この世界ではいつまでも格差が無くならないのか。
何故、私達はいつでも必死に働いてお金を稼がなければいけないのか。
何故、そうまでして頑張っても、なかなか豊かになりきれないのか。
私達はあらゆる情報に洗脳され過ぎました。
インターネットが普及した影響で、それらの洗脳から目を覚ます人が増えて来ています。しかしネットに疎いある一定の年齢以上の人達を中心に、洗脳は根強くその効力を発揮し続けています。
では、洗脳とは一体何でしょうか。
それは、私達が正しいと教わって来た事のほとんどです。
私達は長い間、本質から離れたものばかりを重要視するように教育されて来ました。
自身の内側に宿る神聖(真正)や本質、エネルギーを自在に使う事、真に体に良い食べ物などからは目をそらされ、真逆のものばかりを求めるように教育されて来たのです。
この世界は、そのようなあらゆる偽物の「常識」や「一般論」が、さも真実であるかのように言われ続けて来ました。
戦後から今に至るまで、それは続いています。
「教科書に書いてあるから」
「テレビで芸能人の○○がそう言っていたから」
「新聞にそう書いてあったから」
判断基準をいつでも自分以外の誰かに委ねる事が当たり前になった私達は、本来ならば一番に信頼し委ねなくてはいけない、自分自身の内側にあるアンテナが曇り錆び付いてしまいました。
テレビでネガティブなニュースばかりがやっていても、「世の中はこんなもの」と疑う事すらしない。
ワクチンを打った方が良いと有名人が広告を出せば、副作用の事など考えもせずに簡単に打ったり打たせたりしてしまう。
学校や会社は休んではいけない。
行ったら行ったで、集団生活の輪を乱してはいけない。
常に競争し、勝つ事を考えなくてはいけない。
離れた所から見たらそのような生き方をしている私達はとても滑稽で、まるで自分の意思など持たない家畜の群れのように見えているのかも知れません。
私達は本来、もっと自由で穏やかに生きる事が出来るのです。
地球という惑星はとても豊かで美しい星で、本来は私達は何でも与えられているのです。
太古の昔は、時計なんて無かった。
もっとのんびり、あらゆるものを分かちあって生きていた。
医療やテクノロジーは現代なんかよりもはるかに進んでいて、宇宙人や神と呼ばれる存在はごく身近にいるのが普通だった。

今は、宇宙人や神様などの目には見えない存在の話をするだけで変わり者のレッテルを貼られてしまう。
もっとのんびり生きようと言えば、そんな事をしている暇は無いと言う。
スマートフォンが主流になり、常に誰かと繋がっていて心から休む事が出来ない。
真実など興味すら持たない人達も多くいる一方で、膨大な情報の波に飲まれ真実を見失う人達もいる。
このような息苦しい、生き辛い世の中の仕組みを作ったのは、確かに人であって人ではない一部の人間ではあるけれど、今では問題の本質はそこではなくなってしまいました。
彼らは仕組みを作り私達の背中を押しただけです。
問題は、私達がそれらを受け入れ、その仕組みを自ら動かしてしまっているという事実。
本質や真実から離れたものばかりを盲目的に「正しい」と信じ込んでしまっている事が問題なのです。
確かに彼らはとても、とても狡猾です。
それと分からないように、長い時間をかけ、私達にとって理不尽で苦しみに満ちた世界の型を作り上げた。
でも、私達にも責任がある。
何も疑問視せず、「彼ら」の思うがままに踊らされて来たせいで今の世の中があるのだとしたら。
私達一人一人が、目覚め、自分自身で考え気付いてゆく事が必要です。
肉を食べるのが体に良いだなんて、嘘っぱちです。
具合が悪くなったらとりあえず病院に行くなんていうのも、安易過ぎます。
現に「彼ら」は肉を食べません。
人工の食べ物も食べません。
新鮮で質の良い野菜や果物、穀物が体に良い事を知っているからです。
彼らは病院には行きません。
ホリスティックな医療が、体に良い事を知っているからです。
あえて、エネルギーを下げる食べ物を作り(作らせ)世の中に蔓延させる。
あえて、体に害のある成分を含んだ薬や注射を良薬だと偽り処方する。
医療従事者や食品工場などの中でも、そのようにはっきり自覚して行っている場合は少ないでしょう。
むしろ、良かれと信じて行っている場合が多いのではないかと思います。
これからは、これまで以上に自分自身の内側のアンテナをピカピカに磨いておく必要があります。
何かを決める時は、まず自分自身に聴いてみる。
そこでどのように感じるか、ちょっとした心の動きや筋肉の緊張などから答を導き出す方法が大切になってゆきます。
外側で何が起きたとしても。
心や感情がどれほど揺れ動いたとしても、それらは一つの事実ではありますが一過性のもの。
私達の本質ではありません。
本質はいかなる時も静かに、ただそこに在るのです。
あなたという命が生まれた時からずっと、あなたと共に在るものです。
それは更なる本質(源)に繋がっていて、本質に目を向け耳を澄ませ、アンテナに従い行動する事を繰り返す事で、源との繋がりはより強く深いものとなるのです。

この奴隷社会は、それとは分かられないように私達の身近に仕組まれています。
そこから脱却する一つの方法として、自分自身の内面に目を向け、自ら奥底に隠してしまった「本当の想い」に耳を澄ませる事が大切です。
これまでそういった作業をして来なかった人には、自分自身の「本当の想い」を聴く事はとても怖い事のように感じるかも知れません。
ですが、本質から目を背け続ける事の方が本当は怖い事なんですよ。
簡単に外側の(自分以外の)誰かや何かの言葉に人生を奪われてしまう事にもなりかねません。
これまで奪われて来たのなら、心を開いて耳を澄ませて、未来を取り戻してゆきませんか。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
皆さんは、私達の生活しているこの世界が、一部の人達によって都合の良い世界に作られていると言ったら信じますか。
私達は実は、一部の人達からすれば奴隷同然のような存在であり、そのような仕組みの中で強制的に生かされていると言ったら、信じますか。
「何を言っているんだ。この世界は初めからこうだった。争いはいつの世にも無くならない。それでも一生懸命に生きていくのが、人間として生まれた務めだろう」
「発展途上の国ならまだしも、先進国においては奴隷なんていうものは当の昔に消え去った古い制度だろう」
そんな風に嘲笑する人もいるかも知れませんね。
確かに上記の事は一つの事実ではあります。
奴隷制度は、少なくとも近代の日本においてはとうの昔に消え去ったもの。
そして、どのような理不尽があろうとも、争いが決して無くならないとしても。
人間としてここに生まれた以上は、私達は一人の例外も無く一生懸命に生きる義務があります。
ですが、私が今回お話するのはそういった「一般論」ではなく。
きっと多くの人達が未だ知らないであろう「真実」についてです。

疑問に思った事はありませんか。
何故この世界ではいつまでも格差が無くならないのか。
何故、私達はいつでも必死に働いてお金を稼がなければいけないのか。
何故、そうまでして頑張っても、なかなか豊かになりきれないのか。
私達はあらゆる情報に洗脳され過ぎました。
インターネットが普及した影響で、それらの洗脳から目を覚ます人が増えて来ています。しかしネットに疎いある一定の年齢以上の人達を中心に、洗脳は根強くその効力を発揮し続けています。
では、洗脳とは一体何でしょうか。
それは、私達が正しいと教わって来た事のほとんどです。
私達は長い間、本質から離れたものばかりを重要視するように教育されて来ました。
自身の内側に宿る神聖(真正)や本質、エネルギーを自在に使う事、真に体に良い食べ物などからは目をそらされ、真逆のものばかりを求めるように教育されて来たのです。
この世界は、そのようなあらゆる偽物の「常識」や「一般論」が、さも真実であるかのように言われ続けて来ました。
戦後から今に至るまで、それは続いています。
「教科書に書いてあるから」
「テレビで芸能人の○○がそう言っていたから」
「新聞にそう書いてあったから」
判断基準をいつでも自分以外の誰かに委ねる事が当たり前になった私達は、本来ならば一番に信頼し委ねなくてはいけない、自分自身の内側にあるアンテナが曇り錆び付いてしまいました。
テレビでネガティブなニュースばかりがやっていても、「世の中はこんなもの」と疑う事すらしない。
ワクチンを打った方が良いと有名人が広告を出せば、副作用の事など考えもせずに簡単に打ったり打たせたりしてしまう。
学校や会社は休んではいけない。
行ったら行ったで、集団生活の輪を乱してはいけない。
常に競争し、勝つ事を考えなくてはいけない。
離れた所から見たらそのような生き方をしている私達はとても滑稽で、まるで自分の意思など持たない家畜の群れのように見えているのかも知れません。
私達は本来、もっと自由で穏やかに生きる事が出来るのです。
地球という惑星はとても豊かで美しい星で、本来は私達は何でも与えられているのです。
太古の昔は、時計なんて無かった。
もっとのんびり、あらゆるものを分かちあって生きていた。
医療やテクノロジーは現代なんかよりもはるかに進んでいて、宇宙人や神と呼ばれる存在はごく身近にいるのが普通だった。

今は、宇宙人や神様などの目には見えない存在の話をするだけで変わり者のレッテルを貼られてしまう。
もっとのんびり生きようと言えば、そんな事をしている暇は無いと言う。
スマートフォンが主流になり、常に誰かと繋がっていて心から休む事が出来ない。
真実など興味すら持たない人達も多くいる一方で、膨大な情報の波に飲まれ真実を見失う人達もいる。
このような息苦しい、生き辛い世の中の仕組みを作ったのは、確かに人であって人ではない一部の人間ではあるけれど、今では問題の本質はそこではなくなってしまいました。
彼らは仕組みを作り私達の背中を押しただけです。
問題は、私達がそれらを受け入れ、その仕組みを自ら動かしてしまっているという事実。
本質や真実から離れたものばかりを盲目的に「正しい」と信じ込んでしまっている事が問題なのです。
確かに彼らはとても、とても狡猾です。
それと分からないように、長い時間をかけ、私達にとって理不尽で苦しみに満ちた世界の型を作り上げた。
でも、私達にも責任がある。
何も疑問視せず、「彼ら」の思うがままに踊らされて来たせいで今の世の中があるのだとしたら。
私達一人一人が、目覚め、自分自身で考え気付いてゆく事が必要です。
肉を食べるのが体に良いだなんて、嘘っぱちです。
具合が悪くなったらとりあえず病院に行くなんていうのも、安易過ぎます。
現に「彼ら」は肉を食べません。
人工の食べ物も食べません。
新鮮で質の良い野菜や果物、穀物が体に良い事を知っているからです。
彼らは病院には行きません。
ホリスティックな医療が、体に良い事を知っているからです。
あえて、エネルギーを下げる食べ物を作り(作らせ)世の中に蔓延させる。
あえて、体に害のある成分を含んだ薬や注射を良薬だと偽り処方する。
医療従事者や食品工場などの中でも、そのようにはっきり自覚して行っている場合は少ないでしょう。
むしろ、良かれと信じて行っている場合が多いのではないかと思います。
これからは、これまで以上に自分自身の内側のアンテナをピカピカに磨いておく必要があります。
何かを決める時は、まず自分自身に聴いてみる。
そこでどのように感じるか、ちょっとした心の動きや筋肉の緊張などから答を導き出す方法が大切になってゆきます。
外側で何が起きたとしても。
心や感情がどれほど揺れ動いたとしても、それらは一つの事実ではありますが一過性のもの。
私達の本質ではありません。
本質はいかなる時も静かに、ただそこに在るのです。
あなたという命が生まれた時からずっと、あなたと共に在るものです。
それは更なる本質(源)に繋がっていて、本質に目を向け耳を澄ませ、アンテナに従い行動する事を繰り返す事で、源との繋がりはより強く深いものとなるのです。

この奴隷社会は、それとは分かられないように私達の身近に仕組まれています。
そこから脱却する一つの方法として、自分自身の内面に目を向け、自ら奥底に隠してしまった「本当の想い」に耳を澄ませる事が大切です。
これまでそういった作業をして来なかった人には、自分自身の「本当の想い」を聴く事はとても怖い事のように感じるかも知れません。
ですが、本質から目を背け続ける事の方が本当は怖い事なんですよ。
簡単に外側の(自分以外の)誰かや何かの言葉に人生を奪われてしまう事にもなりかねません。
これまで奪われて来たのなら、心を開いて耳を澄ませて、未来を取り戻してゆきませんか。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
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