見えている世界から何を学ぶ?
お久しぶりです。そらいろですヽ(・∀・)ノ
ちょっとアクシデントがありまして、ブログ更新が長らく止まってしまいました…。
とりあえずは、移行はせずにこちらで続けて行こうと思います。
今日は、前回書いた「内側が外側を作る」についてもうちょっと書いてみようかなと。
同じような内容になるかも知れませんが、自分的に大事だなと思う事なので、興味のある方はお付き合い頂けたら嬉しいです。
「内側が外側を作る」とはどういう事なのでしょうか。
私は、
「外側の出来事に対する捉え方、受け止め方、その出来事について発生する感情が次に起こる出来事を作っていく」
事だと思っています。
例えば、会社などで理不尽な扱いを受けた。
その事に対する怒りや不満だけを持ち続けるなら、次に起こる出来事は内容こそ変わっても、再び怒りや不満を感じる出来事になりやすい。
理不尽な扱いを受けたとしても、それが例え誰かの誤解によるものだったとしても。
自分に本当に非は無かったのだろうか。
誤解をされるような言動をしていなかっただろうか。
自分が気が付かない部分があったのかも知れない。
これからはもっと注意しよう。
そのように己を省みて、ネガティブな感情に支配されずに前向きな受け止め方が出来るのなら、次に起こる出来事は不思議とポジティブなものになりやすいのです。

苦手な人を苦手だ苦手だと思っていると、なぜかその人の近くにいるようになったり。
苦手だけど、それ以上でも以下でもない。そのようにきちんと精神的に境界線を引けると、必要以上にストレスに感じる事は少なくなるでしょう。
穏やかな日常を生きたいと、きっと誰もが思っている。
でも、そのような日常は毎日の積み重ねの上に成り立つのではないでしょうか。
この世界は天国ではありません。
かといって地獄でもない。
でも、どちらも存在する。
それは、私達の内側から生まれるもの。
誰かに石を投げつけられたら、痛いし悲しいし腹も立ちます。
石を投げ返す事も出来ます。
石を投げ返すだけでは怒りが収まらず、殺してしまう事も出来ます。
でも、怒りや諸々の感情や、やり返したい衝動をぐっとこらえ、石を投げつけた相手と話し合う事も出来る。
相手が話し合いに応じなかったとしても、争いの連鎖は自分の所で止める事が出来ます。
私達はいつでもどんな時でも、自由に全てを選ぶ事が出来る。
その選択が、前向きで誠実なものであるなら。
全ての人がそのように選択を積み重ねてゆくのなら、きっと穏やかで優しい世界は訪れるのではないでしょうか。
この世界は本当は、私達一人一人が「目覚めて」生きるだけで、いくらでも変えていく事が出来るのです。
目覚めて生きる、とはテレビや新聞などの「ごく一般的な外側からの情報」を意識的に遮断して、自分自身で考え、感じて答を導き出せる生き方です。

私達人間の内側に眠る力は、本当はもっともっと自由にあらゆるものを創造してゆけるのです。
まずは身近な出来事に対する自分自身の反応を、よく見つめてみて下さい。
ネガティブな感情や思考は排除するのではなく、認めてあげて下さい。
ネガティブな感情や思考に支配されるのではなく、それらを自分自身でコントロールしてみて下さい。
難しいですか?
理屈で理解しようとすると混乱してしまうかも知れません。
感覚で理解した上で、理屈で固定するというか…
余計に伝わりにくいですよね(;´д`)笑
見えている世界は、あなたの内側を現しています。
愚痴や不満を口に出さないようにしていたとしても、心にそれらがあるなら他の誰かが変わりに同じような愚痴や不満を吐き出していたり。
そこでその話題に軽い気持ちで相づちを打ってしまうと、自分の中の同じエネルギーと繋がってしまい、ネガティブが拡がってしまうのです。
目の前の出来事から何を学ぶのか。
何も学ばずにダラダラと惰性で日常を過ごすのか。
私達はいつでもこの瞬間から選ぶ事が出来ます。
自分の思考グセ、感情やエネルギーに敏感になりましょう。
自分自身では当たり前過ぎて、知らない間にネガティブなルーティンを作ってしまっているかも知れません。
その些細と思われる思考や感情の積み重ねが、ある時ケガや病気として
「ちょっとそれは違うよ、本来の在り方からズレてるよ」
そのように教えてくれる事もあるのです。
もちろんその逆も然り。
ポジティブなルーティンの積み重ねは、ばかに出来ませんよ。
ネガティブルーティンを散々やって来た私だから、そこは声を大にして言いたい 笑
そんなそらいろもまた、様々な出来事を通じて学びの日々なのでした(  ̄▽ ̄)
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
ちょっとアクシデントがありまして、ブログ更新が長らく止まってしまいました…。
とりあえずは、移行はせずにこちらで続けて行こうと思います。
今日は、前回書いた「内側が外側を作る」についてもうちょっと書いてみようかなと。
同じような内容になるかも知れませんが、自分的に大事だなと思う事なので、興味のある方はお付き合い頂けたら嬉しいです。
「内側が外側を作る」とはどういう事なのでしょうか。
私は、
「外側の出来事に対する捉え方、受け止め方、その出来事について発生する感情が次に起こる出来事を作っていく」
事だと思っています。
例えば、会社などで理不尽な扱いを受けた。
その事に対する怒りや不満だけを持ち続けるなら、次に起こる出来事は内容こそ変わっても、再び怒りや不満を感じる出来事になりやすい。
理不尽な扱いを受けたとしても、それが例え誰かの誤解によるものだったとしても。
自分に本当に非は無かったのだろうか。
誤解をされるような言動をしていなかっただろうか。
自分が気が付かない部分があったのかも知れない。
これからはもっと注意しよう。
そのように己を省みて、ネガティブな感情に支配されずに前向きな受け止め方が出来るのなら、次に起こる出来事は不思議とポジティブなものになりやすいのです。

苦手な人を苦手だ苦手だと思っていると、なぜかその人の近くにいるようになったり。
苦手だけど、それ以上でも以下でもない。そのようにきちんと精神的に境界線を引けると、必要以上にストレスに感じる事は少なくなるでしょう。
穏やかな日常を生きたいと、きっと誰もが思っている。
でも、そのような日常は毎日の積み重ねの上に成り立つのではないでしょうか。
この世界は天国ではありません。
かといって地獄でもない。
でも、どちらも存在する。
それは、私達の内側から生まれるもの。
誰かに石を投げつけられたら、痛いし悲しいし腹も立ちます。
石を投げ返す事も出来ます。
石を投げ返すだけでは怒りが収まらず、殺してしまう事も出来ます。
でも、怒りや諸々の感情や、やり返したい衝動をぐっとこらえ、石を投げつけた相手と話し合う事も出来る。
相手が話し合いに応じなかったとしても、争いの連鎖は自分の所で止める事が出来ます。
私達はいつでもどんな時でも、自由に全てを選ぶ事が出来る。
その選択が、前向きで誠実なものであるなら。
全ての人がそのように選択を積み重ねてゆくのなら、きっと穏やかで優しい世界は訪れるのではないでしょうか。
この世界は本当は、私達一人一人が「目覚めて」生きるだけで、いくらでも変えていく事が出来るのです。
目覚めて生きる、とはテレビや新聞などの「ごく一般的な外側からの情報」を意識的に遮断して、自分自身で考え、感じて答を導き出せる生き方です。

私達人間の内側に眠る力は、本当はもっともっと自由にあらゆるものを創造してゆけるのです。
まずは身近な出来事に対する自分自身の反応を、よく見つめてみて下さい。
ネガティブな感情や思考は排除するのではなく、認めてあげて下さい。
ネガティブな感情や思考に支配されるのではなく、それらを自分自身でコントロールしてみて下さい。
難しいですか?
理屈で理解しようとすると混乱してしまうかも知れません。
感覚で理解した上で、理屈で固定するというか…
余計に伝わりにくいですよね(;´д`)笑
見えている世界は、あなたの内側を現しています。
愚痴や不満を口に出さないようにしていたとしても、心にそれらがあるなら他の誰かが変わりに同じような愚痴や不満を吐き出していたり。
そこでその話題に軽い気持ちで相づちを打ってしまうと、自分の中の同じエネルギーと繋がってしまい、ネガティブが拡がってしまうのです。
目の前の出来事から何を学ぶのか。
何も学ばずにダラダラと惰性で日常を過ごすのか。
私達はいつでもこの瞬間から選ぶ事が出来ます。
自分の思考グセ、感情やエネルギーに敏感になりましょう。
自分自身では当たり前過ぎて、知らない間にネガティブなルーティンを作ってしまっているかも知れません。
その些細と思われる思考や感情の積み重ねが、ある時ケガや病気として
「ちょっとそれは違うよ、本来の在り方からズレてるよ」
そのように教えてくれる事もあるのです。
もちろんその逆も然り。
ポジティブなルーティンの積み重ねは、ばかに出来ませんよ。
ネガティブルーティンを散々やって来た私だから、そこは声を大にして言いたい 笑
そんなそらいろもまた、様々な出来事を通じて学びの日々なのでした(  ̄▽ ̄)
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
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