どうせ投げるなら、綺麗で優しいボールを。
どうも、そらいろです。
以前にも書いた事があるのですが。
目の前の出来事、聞く言葉などは自分自身の内側を現している…。
昔の私ならどうしたって受け入れる事は出来なかった。
自分は間違ってない。悪いのは相手だし、相手の言動が乱れている事と私自身は何の関係もない。
頑なにそう信じていた時もありました。
でも、散々長い間。
会社や家での人間関係の中で、認めざるを得なくなって来たというか。
「自分が変わる事で相手も変わる」
事を何度も体験していくうちに、ようやく
「相手を変える事は出来ない、変える事が出来るのは自分自身だけだ」
というのが腑に落ちて来たというか。

まず「自身の物事に対する反応、受け止め方を観察する」のをよくやるようにしました。
そうしたら、
擦り傷程度の傷を何度も引っ掻いて膿ませ、大ケガにしてしまっていたのは自分自身だった。
という衝撃の事実に辿り着きました。
その頃の私は、頑なに「悪いのは私を傷付けた相手であり私自身などでは決してない」と信じていましたから、これが分かった時の衝撃と言ったら。
要するに、事実を事実としてただ受け止めれば良かったものを、事実以上の重さに変化させてしまっていたのは私自身の受け止め方であり、偏った思考だったのです。
同じ出来事でも、それをポジティブに受け止めるかネガティブに受け止めるかでは、その後が大きく変わる。
どちらの受け止め方をするかは自由ですが、ネガティブな受け止め方は特に努力を要しないのに対して、ポジティブな受け止め方は日頃から訓練をしていく必要があります。
ポジティブな受け止め方とは、起こった出来事をありのままに認める事。
自分に原因があるなら、それをそのまま認める事。
誰が見ても相手が悪いと思えるような出来事であっても。
相手に責任を丸投げせず、相手を責め過ぎず、自分にも至らない部分や誤解を招く部分があったのではないかと自らを省みる。
その繰り返し、積み重ねがポジティブな受け止め方を「くせづけ」し、それは自身の為のみならず周りにもポジティブな影響や変化を促す事に繋がったりもします。
その努力をするかしないかでは、見た目には分かりにくくとも半年後一年後の意識が全く違っているのです。

自分の内面、意識をよく観察するようになったおかげで、周りの意識や言動も同じように観察するようになりました。
色々な人がいる中で、私が現在その人達から学ばせて頂いているのは何だろう?
言動が自分勝手で傲慢な人からも学べる事があります。
自身にも多かれ少なかれ同じような部分があるから、そのような人が目の前に現れる。
「このような言動をしてはいけないよ」
という反面教師的な意味合いの時もあります。
自身の内側が満たされ、安定していれば外側も自ずと安定する。
自身の内側が乱れ、敵意や嫉妬などの思いが大きければ外側も同じように乱れていく。
そして、外側が乱れていたとしても。
言動で攻撃されたとしても。
自分自身の内側の安定を守り、ポジティブな受け止め方と言動を行う事が出来れば、攻撃のエネルギーに巻き込まれる事はないのです。
内側と外側は繋がっている。
自分自身を満たし、整える事は周りを満たし、整える事に繋がる。
同じように周りを満たし、整えようとする事は自分自身を満たし、整える事でもあるのです。

最近職場などで
「そらいろちゃんは怒ったりイライラしたりする事がないの?」
そんな風に不思議がられる事があります。
それに対して私は
「イライラしたり怒りの感情を乗せて話してしまうと、相手からも感情が返って来る。私はそれが嫌だし、楽しく仕事をしたいんです^^」
「イライラしたり怒ったりしないという訳ではないですよ笑」
と答えました。
相手の方は、なるほどねぇ!と感心していたようですが、その人も割とトラブルメーカーな感じの人なので…(*´-`)笑
火の粉を自ら振り撒かない。
飛んで来た火の粉は、何も全身で被る必要はない。
小さな日々の努力の積み重ねがポジティブな意識を作り、さりげなく火の粉を払える強さになるのかも知れません。
相手を変える事は出来ない。
トゲトゲのボールをいきなり投げつけたら、それ以上にトゲトゲしたボールが怒りや不満のエネルギーと共に返って来る。
それと逆の事をしていこうと、密かに決心して日々を積み重ねているそらいろなのでした。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
以前にも書いた事があるのですが。
目の前の出来事、聞く言葉などは自分自身の内側を現している…。
昔の私ならどうしたって受け入れる事は出来なかった。
自分は間違ってない。悪いのは相手だし、相手の言動が乱れている事と私自身は何の関係もない。
頑なにそう信じていた時もありました。
でも、散々長い間。
会社や家での人間関係の中で、認めざるを得なくなって来たというか。
「自分が変わる事で相手も変わる」
事を何度も体験していくうちに、ようやく
「相手を変える事は出来ない、変える事が出来るのは自分自身だけだ」
というのが腑に落ちて来たというか。

まず「自身の物事に対する反応、受け止め方を観察する」のをよくやるようにしました。
そうしたら、
擦り傷程度の傷を何度も引っ掻いて膿ませ、大ケガにしてしまっていたのは自分自身だった。
という衝撃の事実に辿り着きました。
その頃の私は、頑なに「悪いのは私を傷付けた相手であり私自身などでは決してない」と信じていましたから、これが分かった時の衝撃と言ったら。
要するに、事実を事実としてただ受け止めれば良かったものを、事実以上の重さに変化させてしまっていたのは私自身の受け止め方であり、偏った思考だったのです。
同じ出来事でも、それをポジティブに受け止めるかネガティブに受け止めるかでは、その後が大きく変わる。
どちらの受け止め方をするかは自由ですが、ネガティブな受け止め方は特に努力を要しないのに対して、ポジティブな受け止め方は日頃から訓練をしていく必要があります。
ポジティブな受け止め方とは、起こった出来事をありのままに認める事。
自分に原因があるなら、それをそのまま認める事。
誰が見ても相手が悪いと思えるような出来事であっても。
相手に責任を丸投げせず、相手を責め過ぎず、自分にも至らない部分や誤解を招く部分があったのではないかと自らを省みる。
その繰り返し、積み重ねがポジティブな受け止め方を「くせづけ」し、それは自身の為のみならず周りにもポジティブな影響や変化を促す事に繋がったりもします。
その努力をするかしないかでは、見た目には分かりにくくとも半年後一年後の意識が全く違っているのです。

自分の内面、意識をよく観察するようになったおかげで、周りの意識や言動も同じように観察するようになりました。
色々な人がいる中で、私が現在その人達から学ばせて頂いているのは何だろう?
言動が自分勝手で傲慢な人からも学べる事があります。
自身にも多かれ少なかれ同じような部分があるから、そのような人が目の前に現れる。
「このような言動をしてはいけないよ」
という反面教師的な意味合いの時もあります。
自身の内側が満たされ、安定していれば外側も自ずと安定する。
自身の内側が乱れ、敵意や嫉妬などの思いが大きければ外側も同じように乱れていく。
そして、外側が乱れていたとしても。
言動で攻撃されたとしても。
自分自身の内側の安定を守り、ポジティブな受け止め方と言動を行う事が出来れば、攻撃のエネルギーに巻き込まれる事はないのです。
内側と外側は繋がっている。
自分自身を満たし、整える事は周りを満たし、整える事に繋がる。
同じように周りを満たし、整えようとする事は自分自身を満たし、整える事でもあるのです。

最近職場などで
「そらいろちゃんは怒ったりイライラしたりする事がないの?」
そんな風に不思議がられる事があります。
それに対して私は
「イライラしたり怒りの感情を乗せて話してしまうと、相手からも感情が返って来る。私はそれが嫌だし、楽しく仕事をしたいんです^^」
「イライラしたり怒ったりしないという訳ではないですよ笑」
と答えました。
相手の方は、なるほどねぇ!と感心していたようですが、その人も割とトラブルメーカーな感じの人なので…(*´-`)笑
火の粉を自ら振り撒かない。
飛んで来た火の粉は、何も全身で被る必要はない。
小さな日々の努力の積み重ねがポジティブな意識を作り、さりげなく火の粉を払える強さになるのかも知れません。
相手を変える事は出来ない。
トゲトゲのボールをいきなり投げつけたら、それ以上にトゲトゲしたボールが怒りや不満のエネルギーと共に返って来る。
それと逆の事をしていこうと、密かに決心して日々を積み重ねているそらいろなのでした。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
- 関連記事
-
-
どうせ投げるなら、綺麗で優しいボールを。
-
〇〇障害の本質とは。
-
限界まで来たからこそ見えたもの
-