HSPって何?
どうも、そらいそです。
HSPというものを知っているでしょうか。
5人に1人はいると言われている「人よりも繊細で敏感な人達」の事です。
最近では芸能人のベッキーさんが、SNSで自分がHSPだと気付いたと発言した事も記憶に新しいのではないでしょうか。
厳密には更にそこからいくつかのタイプに分類されるのですが、今回はおおまかなお話を。
私自身も最近HSPだと気が付いた1人です。
自分の性質を見ていくと、
「会社や学校など、多数の人が集まる場所は苦手」
「1人で過ごせる静かな時間が無いと生きて行けない」
「他人のちょっとした表情の変化や、言葉に隠された真意に気が付いてしまう」
「エネルギー的なものに敏感で、ネガティブな情報や残虐な映像などが苦手。目にするとしばらくの間その映像が脳裏から離れず苦しい思いをする」
「感受性が強過ぎて、映画などは予告編でも泣いてしまう事がある」
「強い言葉使いの人が苦手」
「争いが苦手」
「赤ちゃんの泣き声を聞いたり、近所の犬がキャン!と鳴いただけでもそわそわしてしまう」
「電機屋などでテレビや電話の呼び出し音、セールスの声など複数の大きな音の情報にさらされるような場所は苦手」
「動物や植物などと心を通わせる事が出来る」
他にもあるかも知れませんが、主にはこんな感じでしょうか。
これはあくまで私の場合であるので、また違ったタイプのHSPの方もいると思います。

この世界は未だに強い者勝ちな部分があり、敏感であったり繊細な事は「弱さ」と同義に捉えられがちです。
その為、HSPという言葉自体を否定的に捉え
「だからどうしたんだ」
「5人に1人なんて別に珍しくもない」
「何でもかんでもHSPとか言う不確かなもので自分を守るな」
「弱さを克服しない人の言い訳」
等の意見を見聞きする場合もあります。
そのような人達には、自分達は必死に生きているのに、HSPという言葉を安易に使って現実逃避している甘えに思えているのかも知れません。
HSPは病気ではなく、あくまで性質の分類です。
なので診断書を書いてもらったり、それを理由に職場や学校で待遇を考慮してもらうというのはまだまだ日本では難しい所があります。
ですが、私は自分がそのような性質の人間なのだと知る事が出来て生きるのが楽になりました。
何故自分は他の人と違うのだろう、他の人が特に気にならない事が苦手だったり過剰に反応してしまうのだろう?
そういった内なる疑問が解け、また自分と同じような性質の人達とHSPというものを通じて情報を共有し合えるようになって来たのは、少なくとも私には大きな事でした。

自分の性質を客観的に見れるようになった事で、自分なりの対処法なども分かって来ました。
これまでは一般的な枠組みの中に自分を当てはめ、他の人達のように生きられない自分を責めていました。
「もっと強くならなければ」
「もっと頑張らなければ」
そのような思いで生きる事は本来の自分を無視し、別の誰かや何かになろうとする事と同じです。
私は私の性質をありのまま認めてあげていなかった。
人と違う自分はダメなんだと思い込んでいたのです。
HSPというものの理解が進み、様々な書籍が発売されたり意見の交換が起きる事は、繊細で敏感な性質の人達にとっては朗報でした。
HSPというものが公になって行くにつれて、楽になれた人は少なくないと思うのです。
事実、私もそうでした。
「HSPだからしょうがない」
そのように諦めたり逃げ道にするのではなく、自分の性質を正しく理解して強みにして行く。
または、これまで周りに合わせ懸命に生きて来た部分を少し緩めてあげる。
他のHSPの人の良き理解者になる事も可能ですし、繊細さを活かして動物や植物のお世話をする仕事を選んでみるのも良いでしょう。
HSPという特性を味方に付けて、より自分らしく生きる道標にして行けたら、と思うのです。
まだまだ誤解も多いですが、これから少しづつHSPというものが人々の中に正しく認知されていく事を願って。

最後まで読んで下さりありがとうございました。
HSPというものを知っているでしょうか。
5人に1人はいると言われている「人よりも繊細で敏感な人達」の事です。
最近では芸能人のベッキーさんが、SNSで自分がHSPだと気付いたと発言した事も記憶に新しいのではないでしょうか。
厳密には更にそこからいくつかのタイプに分類されるのですが、今回はおおまかなお話を。
私自身も最近HSPだと気が付いた1人です。
自分の性質を見ていくと、
「会社や学校など、多数の人が集まる場所は苦手」
「1人で過ごせる静かな時間が無いと生きて行けない」
「他人のちょっとした表情の変化や、言葉に隠された真意に気が付いてしまう」
「エネルギー的なものに敏感で、ネガティブな情報や残虐な映像などが苦手。目にするとしばらくの間その映像が脳裏から離れず苦しい思いをする」
「感受性が強過ぎて、映画などは予告編でも泣いてしまう事がある」
「強い言葉使いの人が苦手」
「争いが苦手」
「赤ちゃんの泣き声を聞いたり、近所の犬がキャン!と鳴いただけでもそわそわしてしまう」
「電機屋などでテレビや電話の呼び出し音、セールスの声など複数の大きな音の情報にさらされるような場所は苦手」
「動物や植物などと心を通わせる事が出来る」
他にもあるかも知れませんが、主にはこんな感じでしょうか。
これはあくまで私の場合であるので、また違ったタイプのHSPの方もいると思います。

この世界は未だに強い者勝ちな部分があり、敏感であったり繊細な事は「弱さ」と同義に捉えられがちです。
その為、HSPという言葉自体を否定的に捉え
「だからどうしたんだ」
「5人に1人なんて別に珍しくもない」
「何でもかんでもHSPとか言う不確かなもので自分を守るな」
「弱さを克服しない人の言い訳」
等の意見を見聞きする場合もあります。
そのような人達には、自分達は必死に生きているのに、HSPという言葉を安易に使って現実逃避している甘えに思えているのかも知れません。
HSPは病気ではなく、あくまで性質の分類です。
なので診断書を書いてもらったり、それを理由に職場や学校で待遇を考慮してもらうというのはまだまだ日本では難しい所があります。
ですが、私は自分がそのような性質の人間なのだと知る事が出来て生きるのが楽になりました。
何故自分は他の人と違うのだろう、他の人が特に気にならない事が苦手だったり過剰に反応してしまうのだろう?
そういった内なる疑問が解け、また自分と同じような性質の人達とHSPというものを通じて情報を共有し合えるようになって来たのは、少なくとも私には大きな事でした。

自分の性質を客観的に見れるようになった事で、自分なりの対処法なども分かって来ました。
これまでは一般的な枠組みの中に自分を当てはめ、他の人達のように生きられない自分を責めていました。
「もっと強くならなければ」
「もっと頑張らなければ」
そのような思いで生きる事は本来の自分を無視し、別の誰かや何かになろうとする事と同じです。
私は私の性質をありのまま認めてあげていなかった。
人と違う自分はダメなんだと思い込んでいたのです。
HSPというものの理解が進み、様々な書籍が発売されたり意見の交換が起きる事は、繊細で敏感な性質の人達にとっては朗報でした。
HSPというものが公になって行くにつれて、楽になれた人は少なくないと思うのです。
事実、私もそうでした。
「HSPだからしょうがない」
そのように諦めたり逃げ道にするのではなく、自分の性質を正しく理解して強みにして行く。
または、これまで周りに合わせ懸命に生きて来た部分を少し緩めてあげる。
他のHSPの人の良き理解者になる事も可能ですし、繊細さを活かして動物や植物のお世話をする仕事を選んでみるのも良いでしょう。
HSPという特性を味方に付けて、より自分らしく生きる道標にして行けたら、と思うのです。
まだまだ誤解も多いですが、これから少しづつHSPというものが人々の中に正しく認知されていく事を願って。

最後まで読んで下さりありがとうございました。
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