「神を求める」という事に対し考察してみる。
どうも、そらいろですヾ(・∀・)ノ
以前、ある本の中でこんな言葉がありました。
「神を求めなさい」
皆さんはこれらの言葉から、どんなイメージを抱きましたか?
【宗教にありがちな胡散臭い言葉】
もっとあるでしょうが、予想されるごく一般的なイメージはきっとこんな感じじゃないかなあと思います。
上記の言葉から、そらいろが感じた事や思った事はちょっと違います。
「神を求めなさい」。
これは確かにキリスト教などでも言われている言葉の一つですが、多くの人達はその意味を誤って受け取っているのではと思います。
よくキリスト教の人が十字架のペンダントを握りしめ、イエス・キリストの絵に
「神よ、主よ、お助け下さい」
そんな風に祈りを捧げる場面が映画などでも見られますね。
神を求める、というのをこのようなイメージで感じている人も結構多いのではないでしょうか。
でも本当は「神を求める」というのは、そういう困った時の神頼み的な事などではなくて、きっとこういう事なのではないか?とそらいろが自分なりに解釈している内容をお話してみますね。
「神を求める」というのは、外側にいる何かしらの存在に助けを乞う事ではなく、自分自身の内に元々ある誠実さや正直さ、素直さ、誰かや何かを思いやる心、優しさ、家族や身内に対してだけではない広い意味での愛に気付いて、それを深めていく事なのではないかと思っています。
決して外側に何かを求める行為を指すのではなく、自身の内側に宿る「神聖」に気が付く事。
私はそんな風に解釈しているんです。
これから先、私達人類は本当の意味で正念場を迎える事となると聞いています。
新しい時代の幕開けとも言われていますが、その前には一度古い仕組みや価値観などは無くなる必要があります。
新しいものへと変容していく中で、大きな揺さぶりが各個人にも社会、世の中にも今まで以上に起こっていく事になるでしょう。
そのような時にこそ「神を求めてゆく」事が重要だと私は考えます。
先にもお話したように、それは外側の何かに対しての行為ではなく、自身の内側に目を向け、気付く事。
そしてそれを深めてゆく先に、「大いなる源」「宇宙の意思」等、様々な言われ方をしている「神」と繋がる瞬間があるのだと思っています。
これらの事は、無宗教の人やスピリチュアルに関心が無い人にも有効な事です。
新しい世界というのは、外側の誰かや何者かの存在が自動的に作ってくれるものではありません。
あくまで私達一人一人の思いや行動が作ってゆくものです。
地球の計画というものがあるとしたら、私達がいつまでも既存のこの世界で眠っていて、自分達の本当の意味での責任を思い出さないままだと、新しい世界はいつまでも訪れません。
眠っていて起きたら新しい世界が待っていた…なんていう風にはこの世界は甘くないのです。
特別な力や知識なんかが無くても出来る事。
一人一人が自らの中に眠っている優しさ、誠実さを思い出す事が必要です。
どんな素晴らしい知識を持っていたとしても、そこに愛が無ければ人の心を動かす事は出来ない。
これまでは出来たとしても、これからはきっと難しいでしょう。
小さな事からでもいいんです。
ご近所や職場で、笑顔で挨拶をする。
寂しそうな人がいたら声を掛けてあげる。
人と接する時は、明るく朗らかに振舞うようにする。
イライラや怒りは、自分自身で大きくする事も小さくする事も可能です。
イライラしないでいられるのが一番ですが、生きていれば様々な事がありますよね。
大きく爆発してしまう前に、そのエネルギーを小出しにして流してしまいましょう。
(もちろん周りに迷惑をかけないように配慮は必要ですよ)
悪口や不平不満のエネルギーに同調しない、言わない。
自分とは合わない価値観だとしても、それを否定するのではなく理解するよう努める。
(無理に共感する必要はありませんよ)
他にも色々ありますが、要するに「自分から明るいエネルギーを発してゆく、行動してゆく」という事から始めればいいんじゃないかなと。
そういう事に気を付けて過ごしていると、自然と人に対して誠実で優しくなっていたりするはずです。

イメージしてみて下さい。
一人一人が自分と関わる人達や出来事、全ての存在に対して、愛をもって接する事が出来たなら、この世界はどれだけ優しいものとなるでしょう?
「自分一人がやったって…」
なんて諦めたりせずに、どうか始めて欲しいのです。
もちろん強制は出来ませんが、少しでもこの世界を変えたいという思いがあるのなら。
戦争などが存在しない、もっと優しくて穏やかな世界を少しでも望むのなら。
小さくて無力なように思えるその行為が、言葉が、続ける事でいずれ望む未来へと続く懸け橋となります。
最初から諦めて何もしないままなら、何も変わらず、変える事は出来ず。本当に小さくて無力な存在のままです。
争いの無い平和な世界は、争う心の無い平和な心持ちから生まれてゆきます。
安心して道を歩ける国に住んでいる私達だから出来る事があります。
「神を求める」。
皆さんはどのように感じ、思いましたか?
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
***身体に優しい甘酒、始めませんか***


以前、ある本の中でこんな言葉がありました。
「神を求めなさい」
皆さんはこれらの言葉から、どんなイメージを抱きましたか?
【宗教にありがちな胡散臭い言葉】
もっとあるでしょうが、予想されるごく一般的なイメージはきっとこんな感じじゃないかなあと思います。
上記の言葉から、そらいろが感じた事や思った事はちょっと違います。
「神を求めなさい」。
これは確かにキリスト教などでも言われている言葉の一つですが、多くの人達はその意味を誤って受け取っているのではと思います。
よくキリスト教の人が十字架のペンダントを握りしめ、イエス・キリストの絵に
「神よ、主よ、お助け下さい」
そんな風に祈りを捧げる場面が映画などでも見られますね。
神を求める、というのをこのようなイメージで感じている人も結構多いのではないでしょうか。
でも本当は「神を求める」というのは、そういう困った時の神頼み的な事などではなくて、きっとこういう事なのではないか?とそらいろが自分なりに解釈している内容をお話してみますね。
「神を求める」というのは、外側にいる何かしらの存在に助けを乞う事ではなく、自分自身の内に元々ある誠実さや正直さ、素直さ、誰かや何かを思いやる心、優しさ、家族や身内に対してだけではない広い意味での愛に気付いて、それを深めていく事なのではないかと思っています。
決して外側に何かを求める行為を指すのではなく、自身の内側に宿る「神聖」に気が付く事。
私はそんな風に解釈しているんです。
これから先、私達人類は本当の意味で正念場を迎える事となると聞いています。
新しい時代の幕開けとも言われていますが、その前には一度古い仕組みや価値観などは無くなる必要があります。
新しいものへと変容していく中で、大きな揺さぶりが各個人にも社会、世の中にも今まで以上に起こっていく事になるでしょう。
そのような時にこそ「神を求めてゆく」事が重要だと私は考えます。
先にもお話したように、それは外側の何かに対しての行為ではなく、自身の内側に目を向け、気付く事。
そしてそれを深めてゆく先に、「大いなる源」「宇宙の意思」等、様々な言われ方をしている「神」と繋がる瞬間があるのだと思っています。
これらの事は、無宗教の人やスピリチュアルに関心が無い人にも有効な事です。
新しい世界というのは、外側の誰かや何者かの存在が自動的に作ってくれるものではありません。
あくまで私達一人一人の思いや行動が作ってゆくものです。
地球の計画というものがあるとしたら、私達がいつまでも既存のこの世界で眠っていて、自分達の本当の意味での責任を思い出さないままだと、新しい世界はいつまでも訪れません。
眠っていて起きたら新しい世界が待っていた…なんていう風にはこの世界は甘くないのです。
特別な力や知識なんかが無くても出来る事。
一人一人が自らの中に眠っている優しさ、誠実さを思い出す事が必要です。
どんな素晴らしい知識を持っていたとしても、そこに愛が無ければ人の心を動かす事は出来ない。
これまでは出来たとしても、これからはきっと難しいでしょう。
小さな事からでもいいんです。
ご近所や職場で、笑顔で挨拶をする。
寂しそうな人がいたら声を掛けてあげる。
人と接する時は、明るく朗らかに振舞うようにする。
イライラや怒りは、自分自身で大きくする事も小さくする事も可能です。
イライラしないでいられるのが一番ですが、生きていれば様々な事がありますよね。
大きく爆発してしまう前に、そのエネルギーを小出しにして流してしまいましょう。
(もちろん周りに迷惑をかけないように配慮は必要ですよ)
悪口や不平不満のエネルギーに同調しない、言わない。
自分とは合わない価値観だとしても、それを否定するのではなく理解するよう努める。
(無理に共感する必要はありませんよ)
他にも色々ありますが、要するに「自分から明るいエネルギーを発してゆく、行動してゆく」という事から始めればいいんじゃないかなと。
そういう事に気を付けて過ごしていると、自然と人に対して誠実で優しくなっていたりするはずです。

イメージしてみて下さい。
一人一人が自分と関わる人達や出来事、全ての存在に対して、愛をもって接する事が出来たなら、この世界はどれだけ優しいものとなるでしょう?
「自分一人がやったって…」
なんて諦めたりせずに、どうか始めて欲しいのです。
もちろん強制は出来ませんが、少しでもこの世界を変えたいという思いがあるのなら。
戦争などが存在しない、もっと優しくて穏やかな世界を少しでも望むのなら。
小さくて無力なように思えるその行為が、言葉が、続ける事でいずれ望む未来へと続く懸け橋となります。
最初から諦めて何もしないままなら、何も変わらず、変える事は出来ず。本当に小さくて無力な存在のままです。
争いの無い平和な世界は、争う心の無い平和な心持ちから生まれてゆきます。
安心して道を歩ける国に住んでいる私達だから出来る事があります。
「神を求める」。
皆さんはどのように感じ、思いましたか?
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
***身体に優しい甘酒、始めませんか***

- 関連記事
-
-
ライトワーカーについて考えてみる。
-
「神を求める」という事に対し考察してみる。
-
アセンションについて自分なりに考えてみる
-