ライトワーカーについて考えてみる。
どうも、そらいろですヽ(・∀・)ノ
少し前は雪がちらついていて、
「桜はもう少し先かな~」
なんて思っていたら、もうすっかり咲いていました!
急激に気温が上昇して、6月中旬並みの気温だとか。
そりゃ梅どころか桜も咲くよね…( ̄▽ ̄;)
今週末はお花見に行くとしましょう🌸
今日は、ちょっぴりスピリチュアル?なお話を…。
私なりに思うライトワーカーの在り方について書こうと思います。
10年前と違い、TwitterなどのSNSでもライトワーカーという言葉は珍しいものではなくなって来ました。
ライトワーカーとは一体なんぞや?
その字の如く「光の作業をする人」…でしょうか。
では光の作業、ってどういう事を言うんでしょう?
未だに勘違いや誤解している人も多いですが、ライトワーカーは何も「選ばれた特別な人」や「特別な何か」では無いのです。
困っている人がいたら見て見ぬふりをせず、損得勘定無しに助けてあげる。
誰かが悩んでいたら、親身になって話を聞いてあげる。
これらは当たり前で、それプラス「他人に気付きを促すような言葉や行動を選んでゆく」などがあるかと思います。
過去、他の惑星等に生きていた記憶がある人は、自分の知っている知識や感覚を伝えて行く事で、この世界にはまだ少ない新しい価値観や感覚を伝える事にもなりますね。
「周りを助けながら、明確な意思を持ってこの世界の常識の外側の知識や感覚を伝える人」
「(本質を)表現せずにはいられない人」
それがライトワーカーではないでしょうか。
基本的に何事も愛から発信している人のような気がします。
文章で伝える人、絵や写真で伝える人。
ダンスや創作で伝える人…。
この世界には様々な表現で、光を、真実を伝え続ける人が沢山います。

これはあくまで私個人の場合ですが、私は人と関わり合いながら神様や高次のエネルギーからの想いを何らかの形で伝えていく…。
言葉や行動もそうですが「在り方」「エネルギー」を大事にしています。
具体的には自分からネガティブなエネルギーを発しない、ネガティブなエネルギーに同調しない。
そのあたりに関して書いた記事はこちら→私達の内に眠る力を思い出そう
どのような状況であっても、光のエネルギーを保つ努力をする。
慣れてしまえばそれが普通なのですが、昔は私も今より荒い部分が多々あってなかなか大変でした…。
それらが魂の仕事というか使命であると感じています。
このブログを書いているのもそれに含まれるのかも知れません。
そして最近特に強く感じている事は、
「どんなに本質を【知って】いようと、過去生の記憶があろうと、一般的な人達にそれらを伝える努力をしないのならば、それは単なる自己満足だ」
という事。
自分だけが分かる言葉で一方的に伝えるのも上記と同じではないかと思います。
確かにどれほど心を砕いて伝えようと、全ての人に伝わるものでもありません。
大事なのは、どのような人に対しても人を選ばず、言葉や内容はその人に分かるように伝える努力をして行く事ではないでしょうか。
スピリチュアルなワードに頼っている人はそういう意味では危険信号です。
特別なような言葉を乱用すれば、それっぽい雰囲気にはなりますが本質からは離れてゆく気がします。
なので私はなるべくスピリチュアルなワードは一旦脇に置いて、なるべく一般的な人のにも理解しやすい言葉にして話すようにしています。
スピリチュアルなワードを出したが為に話を聞いてもらえなくなったり、うさんくさがられてしまったら悲しいですし本末転倒ですものね。
特別っぽい言葉に頼らず本質を伝えるには、それらを深く理解していなければ出来ません。
自分の中でよく検証し、それが宇宙的に正解なのか、直感等と照らし合わせよくよく考えて答を出します。
ライトワーカーというのは決して派手なものではなく(派手な人達もいるでしょうが)むしろ逆でとても地味な作業です。
この世界にすっかり馴染んでいるように振る舞いながら、ちょっとした隙をついて真理や本質を伝え続ける。
従順なようでいて、胸の内では光を伝える事に燃えている。
常に自身を見つめ直すという作業を怠れば、あっという間にエゴや闇の意識に足を取られてしまいかねない。そんな危険性との隣り合わせでもあると思います…。
ライトワーカーの自覚がある人達は自身の内側の光、真実を思い出した人です。
神、宇宙、理、真理、本質、源…様々な表現がありますが、言い方が異なるだけでひとつのものを指していると私は思っています。
そして、何らかの理由でそれらに強く結び付いた人。その強く結び付いた光を伝え、表現する事に喜びを見出だす人達をライトワーカーと呼ぶのだと思います。

光を思い出した人達には義務があります。
決して自己満足で終わらず、人を諦めず、それぞれの方法で光を伝え続ける事。
それは楽な事ばかりではないでしょうが、諦めずに、真剣にそれを続けるならば必ず高次のエネルギーからのフォローがあります。
ライトワーカーは特別な訳ではありません。
それを魂の仕事として決めて来たというだけです。
スピリチュアルなワードでそれっぽい世界にはまらないで下さい。
私達人間が他の人間やこの世界を勝手にジャッジしたり諦めてしまうのは、寂しく悲しい事です。
受け取った側がその光や知識をどのように活かしてゆくのかは、その人が決める事ですし、地球に生きている以上誰にでもこの世界に関しての責任があります。
私達は争い傷付け合う為に生まれて来たのではなく、それらの体験を越えて本来の優しさや愛で繋がる為に生まれて来たのです。
私達は私達の信じる想いを、光を。
諦めずに伝えて行きましょう。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
少し前は雪がちらついていて、
「桜はもう少し先かな~」
なんて思っていたら、もうすっかり咲いていました!
急激に気温が上昇して、6月中旬並みの気温だとか。
そりゃ梅どころか桜も咲くよね…( ̄▽ ̄;)
今週末はお花見に行くとしましょう🌸
今日は、ちょっぴりスピリチュアル?なお話を…。
私なりに思うライトワーカーの在り方について書こうと思います。
10年前と違い、TwitterなどのSNSでもライトワーカーという言葉は珍しいものではなくなって来ました。
ライトワーカーとは一体なんぞや?
その字の如く「光の作業をする人」…でしょうか。
では光の作業、ってどういう事を言うんでしょう?
未だに勘違いや誤解している人も多いですが、ライトワーカーは何も「選ばれた特別な人」や「特別な何か」では無いのです。
困っている人がいたら見て見ぬふりをせず、損得勘定無しに助けてあげる。
誰かが悩んでいたら、親身になって話を聞いてあげる。
これらは当たり前で、それプラス「他人に気付きを促すような言葉や行動を選んでゆく」などがあるかと思います。
過去、他の惑星等に生きていた記憶がある人は、自分の知っている知識や感覚を伝えて行く事で、この世界にはまだ少ない新しい価値観や感覚を伝える事にもなりますね。
「周りを助けながら、明確な意思を持ってこの世界の常識の外側の知識や感覚を伝える人」
「(本質を)表現せずにはいられない人」
それがライトワーカーではないでしょうか。
基本的に何事も愛から発信している人のような気がします。
文章で伝える人、絵や写真で伝える人。
ダンスや創作で伝える人…。
この世界には様々な表現で、光を、真実を伝え続ける人が沢山います。

これはあくまで私個人の場合ですが、私は人と関わり合いながら神様や高次のエネルギーからの想いを何らかの形で伝えていく…。
言葉や行動もそうですが「在り方」「エネルギー」を大事にしています。
具体的には自分からネガティブなエネルギーを発しない、ネガティブなエネルギーに同調しない。
そのあたりに関して書いた記事はこちら→私達の内に眠る力を思い出そう
どのような状況であっても、光のエネルギーを保つ努力をする。
慣れてしまえばそれが普通なのですが、昔は私も今より荒い部分が多々あってなかなか大変でした…。
それらが魂の仕事というか使命であると感じています。
このブログを書いているのもそれに含まれるのかも知れません。
そして最近特に強く感じている事は、
「どんなに本質を【知って】いようと、過去生の記憶があろうと、一般的な人達にそれらを伝える努力をしないのならば、それは単なる自己満足だ」
という事。
自分だけが分かる言葉で一方的に伝えるのも上記と同じではないかと思います。
確かにどれほど心を砕いて伝えようと、全ての人に伝わるものでもありません。
大事なのは、どのような人に対しても人を選ばず、言葉や内容はその人に分かるように伝える努力をして行く事ではないでしょうか。
スピリチュアルなワードに頼っている人はそういう意味では危険信号です。
特別なような言葉を乱用すれば、それっぽい雰囲気にはなりますが本質からは離れてゆく気がします。
なので私はなるべくスピリチュアルなワードは一旦脇に置いて、なるべく一般的な人のにも理解しやすい言葉にして話すようにしています。
スピリチュアルなワードを出したが為に話を聞いてもらえなくなったり、うさんくさがられてしまったら悲しいですし本末転倒ですものね。
特別っぽい言葉に頼らず本質を伝えるには、それらを深く理解していなければ出来ません。
自分の中でよく検証し、それが宇宙的に正解なのか、直感等と照らし合わせよくよく考えて答を出します。
ライトワーカーというのは決して派手なものではなく(派手な人達もいるでしょうが)むしろ逆でとても地味な作業です。
この世界にすっかり馴染んでいるように振る舞いながら、ちょっとした隙をついて真理や本質を伝え続ける。
従順なようでいて、胸の内では光を伝える事に燃えている。
常に自身を見つめ直すという作業を怠れば、あっという間にエゴや闇の意識に足を取られてしまいかねない。そんな危険性との隣り合わせでもあると思います…。
ライトワーカーの自覚がある人達は自身の内側の光、真実を思い出した人です。
神、宇宙、理、真理、本質、源…様々な表現がありますが、言い方が異なるだけでひとつのものを指していると私は思っています。
そして、何らかの理由でそれらに強く結び付いた人。その強く結び付いた光を伝え、表現する事に喜びを見出だす人達をライトワーカーと呼ぶのだと思います。

光を思い出した人達には義務があります。
決して自己満足で終わらず、人を諦めず、それぞれの方法で光を伝え続ける事。
それは楽な事ばかりではないでしょうが、諦めずに、真剣にそれを続けるならば必ず高次のエネルギーからのフォローがあります。
ライトワーカーは特別な訳ではありません。
それを魂の仕事として決めて来たというだけです。
スピリチュアルなワードでそれっぽい世界にはまらないで下さい。
私達人間が他の人間やこの世界を勝手にジャッジしたり諦めてしまうのは、寂しく悲しい事です。
受け取った側がその光や知識をどのように活かしてゆくのかは、その人が決める事ですし、地球に生きている以上誰にでもこの世界に関しての責任があります。
私達は争い傷付け合う為に生まれて来たのではなく、それらの体験を越えて本来の優しさや愛で繋がる為に生まれて来たのです。
私達は私達の信じる想いを、光を。
諦めずに伝えて行きましょう。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
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