悪とは何ぞや?
どうも、そらいろですヽ(・∀・)ノ
よくスピリチュアル業界などで
「本当の意味で悪というものは存在しない」
と言われているのを聞いた事はありませんか。
今日はそらいろが自分なりに思う「悪」とは何か。について書いてみようと思います。
かなりまとまりが無いので、了承して頂ける方のみお読み下さいね 笑
「悪」とは一体何でしょうか。
サタンや悪魔などと呼ばれる、恐ろしい姿形をした存在?
私は「悪」というものは最初からはっきりと存在しているものではなく、「宿るもの」「生まれる(造られる)もの」なんじゃないかなと思っています。
最初から悪だったのではなく、思考や心の在り方がじわじわと悪を育ててゆくのではないかなと。
最初は善なる存在だったものが、ある意味「自分の意思によって」悪へと変化して行った。
そしてそれは途中経過の形であって、時間と共に再び本来の在り方に戻ってゆく。
私達人間一人一人もそうですが、「悪い宇宙人」と呼ばれているものも同じなのではないかなと。

今では知ってる人達には共通の認識になって来ていますが…この世界、地球は心根の善くない宇宙人によって奪われている。
本来は当たり前に平和で穏やかな世界だった此処を、彼らがエネルギーを搾取する為に長い時を掛けて現在の仕組みに少しずつ造り変えて来た。
信じる信じないはあると思いますが、上記の事は一つの事実であると私は思っています。
それらの宇宙人がして来た事は、私達からすればとても苦しい事で長い時間に感じますが…
より高次の存在や、別の宇宙から見たら瞬きの間の出来事のように一瞬で、一過性の出来事かも知れないのです。
そして、悪がその在り方を私達に示す事で、私達は一旦本質から離れる事で、より深く本質を求めるようになります。
清濁のうちの「清」しか知らなかった私達は、悪のおかげで「濁」を知る事になり。
「清濁併せ飲む」という体験をする事で、元々持っている「清」はより力強く輝き、透明さは深みを増してゆくのではないかなと思うのです。
だからと言って、
「じゃあ、極悪非道な殺人犯も必要悪なのか」
というとそういう訳では決して無く。上手く言えないのですが、そして語弊がある事も承知で言葉を続けさせて頂くと…。
「あらゆる事象は魂を磨くために起きている」
という事。
だからと言って全てを許す必要は無くて。
苦しみや葛藤、怒りや悲しみというものを体験し、その中で
「何を選んでゆくのか」
という事が大事なんじゃないのかなと。
例えば、歩いていて通りすがりの人がふいに自分を思い切り蹴っ飛ばして来たとします。
怒りがわきますよね。
そこで
「これも必要な体験なんだ、ありがとうなんだ」
何て思う必要は全く無いという事です。
いきなり蹴っ飛ばされてそんな風に思う人がいたら、その人はきっと頭がおかしい 笑
そうではなくて、怒りは怒りとして抱いて良い。
大事なのは、その先にどうするか。
どんな思考で、どのような行動に移すのか。
逆上して罵倒し、感情のままに蹴り返すのか。
腹は立つけれども、自分の側に何かしらの要因があったのかなと冷静に考えてみるのか。
もしかしたら蹴られたあなたは、細い道の真ん中をスマートフォンを見ながらのんびり歩いていて、先を急ぎたい誰かの声も聞こえずにいたのかも知れない。
もしかしたらあなたが何日か前にイライラしながら歩いていた時に、肩がぶつかった誰かだったのかも知れない。
冷静に考えてそれらの要因に辿り着いたら、次からは同じような状況にはならないでしょう。
そこで、その誰かが荒療治的な行動で示してくれなかったら、あなたは気付かないまま、どこかでまた他の誰かの怒りを買っていたかも知れないし、気付かないうちに誰かに迷惑をかけ続けてしまったかも知れません。
受け取りかた一つで、目の前の出来事の意味合いは変わって来るんです。
ちょっと脇道にずれてしまいました(  ̄▽ ̄)笑
世の中に満ちている、幸せとは言い難い多くのニュース。
暗く閉じ込められたエネルギーや、歪んだ常識を当たり前と思い込まされて来た事に対して、怒りや悲しみの感情が無いと言えば嘘になります。
ですが、そのような世界を見せられなければ、私達人間は気が付けない(思い出せない)事が沢山ある事も一つの事実です。
今のこの世界も、いつまでも続く訳ではないでしょう。
気付いた(思い出した)人達が増える事で、既存の古い価値観や世界はその必要性を無くし、本来の在り方で過ごせる、穏やかで愛に溢れた世界を取り戻すでしょう。
その時には、役目を終えた「悪」の存在も「善」と呼ばれて来た存在も、盃を酌み交わしこれまでの互いの苦労を労った後、善も悪も無い本来の一つのものに戻るのかも知れません。
「悪は存在するが、(本来は)存在しない」
人や他の生命体の心から生まれた「悪」も概念としての「悪」も、いずれはその存在としての役割を終えるのだろうと思っています。
それまでは色々な体験を魂の栄養にして。
蓮のように、美しく凛とした花を咲かせたいですね。

https://www.instagram.com/p/BXzhasABKDi/
うーん、今回の記事も相変わらず支離滅裂だ…笑
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
よくスピリチュアル業界などで
「本当の意味で悪というものは存在しない」
と言われているのを聞いた事はありませんか。
今日はそらいろが自分なりに思う「悪」とは何か。について書いてみようと思います。
かなりまとまりが無いので、了承して頂ける方のみお読み下さいね 笑
「悪」とは一体何でしょうか。
サタンや悪魔などと呼ばれる、恐ろしい姿形をした存在?
私は「悪」というものは最初からはっきりと存在しているものではなく、「宿るもの」「生まれる(造られる)もの」なんじゃないかなと思っています。
最初から悪だったのではなく、思考や心の在り方がじわじわと悪を育ててゆくのではないかなと。
最初は善なる存在だったものが、ある意味「自分の意思によって」悪へと変化して行った。
そしてそれは途中経過の形であって、時間と共に再び本来の在り方に戻ってゆく。
私達人間一人一人もそうですが、「悪い宇宙人」と呼ばれているものも同じなのではないかなと。

今では知ってる人達には共通の認識になって来ていますが…この世界、地球は心根の善くない宇宙人によって奪われている。
本来は当たり前に平和で穏やかな世界だった此処を、彼らがエネルギーを搾取する為に長い時を掛けて現在の仕組みに少しずつ造り変えて来た。
信じる信じないはあると思いますが、上記の事は一つの事実であると私は思っています。
それらの宇宙人がして来た事は、私達からすればとても苦しい事で長い時間に感じますが…
より高次の存在や、別の宇宙から見たら瞬きの間の出来事のように一瞬で、一過性の出来事かも知れないのです。
そして、悪がその在り方を私達に示す事で、私達は一旦本質から離れる事で、より深く本質を求めるようになります。
清濁のうちの「清」しか知らなかった私達は、悪のおかげで「濁」を知る事になり。
「清濁併せ飲む」という体験をする事で、元々持っている「清」はより力強く輝き、透明さは深みを増してゆくのではないかなと思うのです。
だからと言って、
「じゃあ、極悪非道な殺人犯も必要悪なのか」
というとそういう訳では決して無く。上手く言えないのですが、そして語弊がある事も承知で言葉を続けさせて頂くと…。
「あらゆる事象は魂を磨くために起きている」
という事。
だからと言って全てを許す必要は無くて。
苦しみや葛藤、怒りや悲しみというものを体験し、その中で
「何を選んでゆくのか」
という事が大事なんじゃないのかなと。
例えば、歩いていて通りすがりの人がふいに自分を思い切り蹴っ飛ばして来たとします。
怒りがわきますよね。
そこで
「これも必要な体験なんだ、ありがとうなんだ」
何て思う必要は全く無いという事です。
いきなり蹴っ飛ばされてそんな風に思う人がいたら、その人はきっと頭がおかしい 笑
そうではなくて、怒りは怒りとして抱いて良い。
大事なのは、その先にどうするか。
どんな思考で、どのような行動に移すのか。
逆上して罵倒し、感情のままに蹴り返すのか。
腹は立つけれども、自分の側に何かしらの要因があったのかなと冷静に考えてみるのか。
もしかしたら蹴られたあなたは、細い道の真ん中をスマートフォンを見ながらのんびり歩いていて、先を急ぎたい誰かの声も聞こえずにいたのかも知れない。
もしかしたらあなたが何日か前にイライラしながら歩いていた時に、肩がぶつかった誰かだったのかも知れない。
冷静に考えてそれらの要因に辿り着いたら、次からは同じような状況にはならないでしょう。
そこで、その誰かが荒療治的な行動で示してくれなかったら、あなたは気付かないまま、どこかでまた他の誰かの怒りを買っていたかも知れないし、気付かないうちに誰かに迷惑をかけ続けてしまったかも知れません。
受け取りかた一つで、目の前の出来事の意味合いは変わって来るんです。
ちょっと脇道にずれてしまいました(  ̄▽ ̄)笑
世の中に満ちている、幸せとは言い難い多くのニュース。
暗く閉じ込められたエネルギーや、歪んだ常識を当たり前と思い込まされて来た事に対して、怒りや悲しみの感情が無いと言えば嘘になります。
ですが、そのような世界を見せられなければ、私達人間は気が付けない(思い出せない)事が沢山ある事も一つの事実です。
今のこの世界も、いつまでも続く訳ではないでしょう。
気付いた(思い出した)人達が増える事で、既存の古い価値観や世界はその必要性を無くし、本来の在り方で過ごせる、穏やかで愛に溢れた世界を取り戻すでしょう。
その時には、役目を終えた「悪」の存在も「善」と呼ばれて来た存在も、盃を酌み交わしこれまでの互いの苦労を労った後、善も悪も無い本来の一つのものに戻るのかも知れません。
「悪は存在するが、(本来は)存在しない」
人や他の生命体の心から生まれた「悪」も概念としての「悪」も、いずれはその存在としての役割を終えるのだろうと思っています。
それまでは色々な体験を魂の栄養にして。
蓮のように、美しく凛とした花を咲かせたいですね。

https://www.instagram.com/p/BXzhasABKDi/
うーん、今回の記事も相変わらず支離滅裂だ…笑
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
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