地獄は何処にある? 2
どうも、そらいろですヽ(・∀・)ノ
今回は、過去記事で書いた「地獄は何処にある?」の続きのような内容になります。
※今回の記事タイトル&リンク先が間違っていたので修正しました。
私、以前から考えている事があるんですよ。
どうしてこの世界では命は平等ではないんだろうって。
人が人を殺したり傷付けたりすれば罪に問われます。
ペット等の動物を虐待したり殺してしまったとしても、同じですよね。
でも。
動物を車で轢いても罪に問われる事は無い。
それが意図的だろうと事故であろうと。誰かの飼っている動物だろうと野生の生き物であろうと。
一つの命が奪われた事に変わりは無い筈なのに。
自分の飼っている動物は「家族」で、その動物に産まれた仔は「要らない存在」として捨てたりする。
または…犬や猫などの動物は可愛いけれど、熊や猪などの動物が
「人間を傷付ける可能性があるから」
「農作物を荒らす害獣だから」
と、人間の都合だけで殺されたり。
スポーツとして動物を撃ち殺したりする場合も…。

または。
「人間の為に薬や化粧品を開発するにあたって、人間の肉体を使うのは倫理に反する事」
として、動物の命を苦しめ、奪い続けたり。
おかしいとは思いませんか。
何故、多くの人は対した疑問も抱かず、苦悩する事も無くそれらの事実を受け入れているのでしょう。
こんなにも人間の都合ばかりがまかり通っているなんていうのは、異常な事ではないでしょうか。
虫一匹にせよ、道端の名も分からないような草花にせよ。
全ての存在は、命は。本来平等で在るべきです。
自然界はバランスが取れていた。
弱肉強食や食物連鎖の中にあっても、そのバランスの中で長い間きちんと回っていたのです。
そこに、私達人間が後から来たにも関わらずずかずかと土足で入り込み、好き勝手にしている。
野生動物が農作物を荒らすのは、自然の中の食べ物が減って来ているからです。
彼らだって、殺されるかもしれないリスクを負ってまでわざわざ悪戯に人里に降りて来ている訳じゃないんです。
自然界の食べ物が減って来ている要因は色々とあるでしょうが、私達人間が境界線を侵し好き勝手にやってしまった事がその要因の一つでもあると私は考えています。


私達が服用している薬や、施される治療は。
数え切れない命の犠牲の元に成り立っているという事実も忘れてはいけません。
お洒落な革製品、毛皮を使った服や装飾品も同じです。
動物達がどれ程の苦しみを与えられ、その命を残虐な方法で奪われているのか考えた事はありますか。
多くの人達が美味しいと舌鼓を打つ肉料理も…
私達のテーブルに乗せられるまでの間、どれほどの地獄があったのかを考えた事はありますか。
私は完全なベジタリアンではありませんので、上記の事を話すのは矛盾があると感じる人もいらっしゃるかも知れません。
持病があるので、全く薬を使わないという事も現時点では難しいです。
ですが。
私は私の出来る事を、出来る範囲でして行こうと思っています。
革製品や毛皮製品は買わない、使わない。
お肉を頂くのは、家族の付き合いなど必要最低限にする。
薬もなるべく漢方薬に移行してゆく。
化粧品等は、なるべく動物実験を経ていないものを選んで使う。
このような世界に生きてはいても、地味ではあるかも知れないけれど出来る事はある。
大切なのは、この世界のてっぺんに君臨している私達人間が、もっと自然界や他の生き物の命に想いを馳せる事ではないでしょうか。

罪に問われなければ…「この世界ではそれが普通だから」、他の命を奪ってもいいのでしょうか?
動物にも心はあるんです。
小さな虫一匹、道端の名前も分からないような草花であっても。
あなたの大事な家族であるペットも。
害獣と罵られる野生動物であっても。
私の命も、そして今これを読んで下さっているあなたの命も。
本来は全てに等しい重さの「命」なんです。
どの命は軽くて、どの命は重いとかいう事は無い。
そのような感覚の中で生きていると、この世界は本当に苦しいです。
苦しいと思わないその感覚が、私には苦しくて悲しい。
近い将来…全ての命が尊重される、そんな優しい世界が訪れると聞いています。
どうか一人一人の内に眠るほんとうの優しさ、強さを一人でも多くの人が思い出してくれますように。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


今回は、過去記事で書いた「地獄は何処にある?」の続きのような内容になります。
※今回の記事タイトル&リンク先が間違っていたので修正しました。
私、以前から考えている事があるんですよ。
どうしてこの世界では命は平等ではないんだろうって。
人が人を殺したり傷付けたりすれば罪に問われます。
ペット等の動物を虐待したり殺してしまったとしても、同じですよね。
でも。
動物を車で轢いても罪に問われる事は無い。
それが意図的だろうと事故であろうと。誰かの飼っている動物だろうと野生の生き物であろうと。
一つの命が奪われた事に変わりは無い筈なのに。
自分の飼っている動物は「家族」で、その動物に産まれた仔は「要らない存在」として捨てたりする。
または…犬や猫などの動物は可愛いけれど、熊や猪などの動物が
「人間を傷付ける可能性があるから」
「農作物を荒らす害獣だから」
と、人間の都合だけで殺されたり。
スポーツとして動物を撃ち殺したりする場合も…。

または。
「人間の為に薬や化粧品を開発するにあたって、人間の肉体を使うのは倫理に反する事」
として、動物の命を苦しめ、奪い続けたり。
おかしいとは思いませんか。
何故、多くの人は対した疑問も抱かず、苦悩する事も無くそれらの事実を受け入れているのでしょう。
こんなにも人間の都合ばかりがまかり通っているなんていうのは、異常な事ではないでしょうか。
虫一匹にせよ、道端の名も分からないような草花にせよ。
全ての存在は、命は。本来平等で在るべきです。
自然界はバランスが取れていた。
弱肉強食や食物連鎖の中にあっても、そのバランスの中で長い間きちんと回っていたのです。
そこに、私達人間が後から来たにも関わらずずかずかと土足で入り込み、好き勝手にしている。
野生動物が農作物を荒らすのは、自然の中の食べ物が減って来ているからです。
彼らだって、殺されるかもしれないリスクを負ってまでわざわざ悪戯に人里に降りて来ている訳じゃないんです。
自然界の食べ物が減って来ている要因は色々とあるでしょうが、私達人間が境界線を侵し好き勝手にやってしまった事がその要因の一つでもあると私は考えています。

私達が服用している薬や、施される治療は。
数え切れない命の犠牲の元に成り立っているという事実も忘れてはいけません。
お洒落な革製品、毛皮を使った服や装飾品も同じです。
動物達がどれ程の苦しみを与えられ、その命を残虐な方法で奪われているのか考えた事はありますか。
多くの人達が美味しいと舌鼓を打つ肉料理も…
私達のテーブルに乗せられるまでの間、どれほどの地獄があったのかを考えた事はありますか。
私は完全なベジタリアンではありませんので、上記の事を話すのは矛盾があると感じる人もいらっしゃるかも知れません。
持病があるので、全く薬を使わないという事も現時点では難しいです。
ですが。
私は私の出来る事を、出来る範囲でして行こうと思っています。
革製品や毛皮製品は買わない、使わない。
お肉を頂くのは、家族の付き合いなど必要最低限にする。
薬もなるべく漢方薬に移行してゆく。
化粧品等は、なるべく動物実験を経ていないものを選んで使う。
このような世界に生きてはいても、地味ではあるかも知れないけれど出来る事はある。
大切なのは、この世界のてっぺんに君臨している私達人間が、もっと自然界や他の生き物の命に想いを馳せる事ではないでしょうか。

罪に問われなければ…「この世界ではそれが普通だから」、他の命を奪ってもいいのでしょうか?
動物にも心はあるんです。
小さな虫一匹、道端の名前も分からないような草花であっても。
あなたの大事な家族であるペットも。
害獣と罵られる野生動物であっても。
私の命も、そして今これを読んで下さっているあなたの命も。
本来は全てに等しい重さの「命」なんです。
どの命は軽くて、どの命は重いとかいう事は無い。
そのような感覚の中で生きていると、この世界は本当に苦しいです。
苦しいと思わないその感覚が、私には苦しくて悲しい。
近い将来…全ての命が尊重される、そんな優しい世界が訪れると聞いています。
どうか一人一人の内に眠るほんとうの優しさ、強さを一人でも多くの人が思い出してくれますように。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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