ブラッドムーンを前に思う事
どうも、そらいろですヽ(・∀・)ノ
今月は「ブラッドムーン」なるものがあるようですね。
簡単に言うと「血のように月が赤くなる」事。
ただそれだけならばいいのですが、どうやらその月の前後に大災害が起こるのではと、巷ではまことしやかにささやかれているようでして…。

今回はその「噂」の真相を探求するのは一旦置いておいてですね。
「自分の身に大災害が振りかかったらどうするのか?」
というような事を考えてゆきたいと思います。
日本は言わずもがな、地震大国です。
にも関わらず、沿岸部を中心に全国に原発が乱立している。
日本人は忍耐強いとか、優しく穏やかであるとか言われていますが、どこかのんびりしている部分が良くも悪くもあるように思います。
だからこそ、原発の建設を受け入れて来てしまったというのもあるのではないでしょうか。
人間が行う物事に「絶対」というのは存在しない。
だから、原発は「絶対に安全で大丈夫だ」と長い間言われていましたが、東日本大震災でその「幻」はいとも簡単に崩れ去った。
その爪痕は近隣の住人だけではなく、全国に渡り付けられ、7年が過ぎた今なお血を流し続けています。
原発を作った人達はかなりの知識を持っていたはずなのに、いつかそれが私達人類の生存を危うくする脅威になるかも知れないとは思わなかったのでしょうか。
その懸念はあっても、経済的発展の為にと、頭の隅に追いやってしまったのでしょうか。

私達は、何度も震災を体験して来ました。
それでも、直接原発という爆弾と向き合う必要性はこれまで無かった。
ですが。
私達は原発事故を経て、それぞれに思うところがあったはずです。
原発は安全なんかじゃない、むしろ脅威でしかない。
原発が無くても、他のエネルギーで十分に生活出来る事も知った。
でも、今も全ての原発が完全に停止している訳ではありませんよね。
停止している原発であっても、それは決して無害という訳では無い。
そんな状況でも、地震や大雨等の災害は起き続けている。
覚悟は出来ていますか?
原発が乱立しているこの地震大国日本で、これからも生きてゆくという事を考えた事はありますか?
何が起きたとしても、その全てを受け入れてゆくという覚悟は出来ていますか?
地球が次元上昇している今、これから先、何事も無くこのままある程度の平和を保ちながら何年も過ぎる事は難しいでしょう。
「そんな事は無いでしょ、大げさな…笑」
「きっと何か起きても、国や誰かが助けてくれるよ」
そんな風に思っている人がいるとすれば、それはかなりのレベルの平和ボケです。
もちろん、何事も起きないのが一番良いのでしょうが、エネルギー場ではもうギリギリなのを感じています。


何も知る事をせず。
流れに任せて、今が良ければいいという考えは危険です。
大切なのは、今この地球に何が起きているのかを知る事、気付く事。
メディア等で流されるニュースの中にはそれは見付ける事が出来ません。
何故私達は、このタイミングを選んで「此処」に生まれて来たのでしょうか?
自然界が乱れているのも、災害が増えて来ているのも、私達とは関係の無い、どうする事も出来ない事なのでしょうか?
私を含め人間はどうしても、自然現象に色々と不満を漏らしがちです。
暑い寒い、雨が少ない多い。
本来、それらの全ては感謝するべきものであり、不満をぶつけるものではありません。
某国は「自然はコントロールするものだ」と公然と言っているみたいですが、そんな事は不可能なんですよ。
ごく一部をコントロールしているのは事実だとしても。
その全てを手中に治めた気になっているのなら、それは傲慢以外の何者でもありません。
人は命を一から作れますか?
空は、山は、宇宙は。太陽は、風は。雨は、雪は、雷は?
絶妙なバランスの元にそれぞれがきちんと働いているそれらを、人間が一から全く同じものを再現出来ますか。
近いものは作れても、それはオリジナルとは程遠いコピーに過ぎません。
エネルギー的に見たら、それらは魂の宿らない偽物なんですよ…。
あらゆる生き物や鉱物であっても、そして私達人間も等しく自然の一部です。
海洋の微生物ぐらいのちっぽけな存在の私達が、どうして計り知れないほど大きな自然の全てを思うように出来るでしょう。
人間はその自然の働きの中で調和して生きるのが、本来の在り方ではないかと私は思います。
現代は便利なモノに溢れ、いつしか自然と調和する事も、自然に畏敬の念を抱く事も忘れてしまった。

ここ最近の自然現象の乱れや災害の多発は、私達に大切な事を思い出すようにというメッセージなのかも知れません。
人間は人間だけで生まれ、生きているのではないという戒めなのかも知れません。
これから先、これまでは考えられなかったような規模の災害が起きて来るかも知れない。
その時あなたはどうしますか?
怖がらせる為にこれを書いているのでは決してありません。
何が起こったとしても、自分自身を信じて周りの人達と共に手を取り合って生きて下さい。
何を知ったとしても。どのような状況になったとしても、自分自身の真ん中に意識を置いていて下さい。
何気無い日々を、関わる全ての人達との時間を大切に。
大難が起こるのも私達の意識が影響しているなら、大難を小難に、小難を無難に出来るのも私達一人一人の意識を変える事で可能となるかも知れませんね。
恐れるのではなく、「そんな事起こるはずがない」と現実逃避するのではなく。
精神面と物質面の両方からしっかりと備えをして、後は天に委ねて生きる。
生きる事は、祈る事…。
いつ何が起きたとしても大丈夫という明るく強い心持ちで過ごしましょう。
私達は、前に進む為に生きている。
清濁併せ呑む事が出来る、真の強さを持っているのは人間だけです。
それぞれの花を咲かせる為に、日々を懸命に生き抜こう。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


今月は「ブラッドムーン」なるものがあるようですね。
簡単に言うと「血のように月が赤くなる」事。
ただそれだけならばいいのですが、どうやらその月の前後に大災害が起こるのではと、巷ではまことしやかにささやかれているようでして…。

今回はその「噂」の真相を探求するのは一旦置いておいてですね。
「自分の身に大災害が振りかかったらどうするのか?」
というような事を考えてゆきたいと思います。
日本は言わずもがな、地震大国です。
にも関わらず、沿岸部を中心に全国に原発が乱立している。
日本人は忍耐強いとか、優しく穏やかであるとか言われていますが、どこかのんびりしている部分が良くも悪くもあるように思います。
だからこそ、原発の建設を受け入れて来てしまったというのもあるのではないでしょうか。
人間が行う物事に「絶対」というのは存在しない。
だから、原発は「絶対に安全で大丈夫だ」と長い間言われていましたが、東日本大震災でその「幻」はいとも簡単に崩れ去った。
その爪痕は近隣の住人だけではなく、全国に渡り付けられ、7年が過ぎた今なお血を流し続けています。
原発を作った人達はかなりの知識を持っていたはずなのに、いつかそれが私達人類の生存を危うくする脅威になるかも知れないとは思わなかったのでしょうか。
その懸念はあっても、経済的発展の為にと、頭の隅に追いやってしまったのでしょうか。

私達は、何度も震災を体験して来ました。
それでも、直接原発という爆弾と向き合う必要性はこれまで無かった。
ですが。
私達は原発事故を経て、それぞれに思うところがあったはずです。
原発は安全なんかじゃない、むしろ脅威でしかない。
原発が無くても、他のエネルギーで十分に生活出来る事も知った。
でも、今も全ての原発が完全に停止している訳ではありませんよね。
停止している原発であっても、それは決して無害という訳では無い。
そんな状況でも、地震や大雨等の災害は起き続けている。
覚悟は出来ていますか?
原発が乱立しているこの地震大国日本で、これからも生きてゆくという事を考えた事はありますか?
何が起きたとしても、その全てを受け入れてゆくという覚悟は出来ていますか?
地球が次元上昇している今、これから先、何事も無くこのままある程度の平和を保ちながら何年も過ぎる事は難しいでしょう。
「そんな事は無いでしょ、大げさな…笑」
「きっと何か起きても、国や誰かが助けてくれるよ」
そんな風に思っている人がいるとすれば、それはかなりのレベルの平和ボケです。
もちろん、何事も起きないのが一番良いのでしょうが、エネルギー場ではもうギリギリなのを感じています。

何も知る事をせず。
流れに任せて、今が良ければいいという考えは危険です。
大切なのは、今この地球に何が起きているのかを知る事、気付く事。
メディア等で流されるニュースの中にはそれは見付ける事が出来ません。
何故私達は、このタイミングを選んで「此処」に生まれて来たのでしょうか?
自然界が乱れているのも、災害が増えて来ているのも、私達とは関係の無い、どうする事も出来ない事なのでしょうか?
私を含め人間はどうしても、自然現象に色々と不満を漏らしがちです。
暑い寒い、雨が少ない多い。
本来、それらの全ては感謝するべきものであり、不満をぶつけるものではありません。
某国は「自然はコントロールするものだ」と公然と言っているみたいですが、そんな事は不可能なんですよ。
ごく一部をコントロールしているのは事実だとしても。
その全てを手中に治めた気になっているのなら、それは傲慢以外の何者でもありません。
人は命を一から作れますか?
空は、山は、宇宙は。太陽は、風は。雨は、雪は、雷は?
絶妙なバランスの元にそれぞれがきちんと働いているそれらを、人間が一から全く同じものを再現出来ますか。
近いものは作れても、それはオリジナルとは程遠いコピーに過ぎません。
エネルギー的に見たら、それらは魂の宿らない偽物なんですよ…。
あらゆる生き物や鉱物であっても、そして私達人間も等しく自然の一部です。
海洋の微生物ぐらいのちっぽけな存在の私達が、どうして計り知れないほど大きな自然の全てを思うように出来るでしょう。
人間はその自然の働きの中で調和して生きるのが、本来の在り方ではないかと私は思います。
現代は便利なモノに溢れ、いつしか自然と調和する事も、自然に畏敬の念を抱く事も忘れてしまった。

ここ最近の自然現象の乱れや災害の多発は、私達に大切な事を思い出すようにというメッセージなのかも知れません。
人間は人間だけで生まれ、生きているのではないという戒めなのかも知れません。
これから先、これまでは考えられなかったような規模の災害が起きて来るかも知れない。
その時あなたはどうしますか?
怖がらせる為にこれを書いているのでは決してありません。
何が起こったとしても、自分自身を信じて周りの人達と共に手を取り合って生きて下さい。
何を知ったとしても。どのような状況になったとしても、自分自身の真ん中に意識を置いていて下さい。
何気無い日々を、関わる全ての人達との時間を大切に。
大難が起こるのも私達の意識が影響しているなら、大難を小難に、小難を無難に出来るのも私達一人一人の意識を変える事で可能となるかも知れませんね。
恐れるのではなく、「そんな事起こるはずがない」と現実逃避するのではなく。
精神面と物質面の両方からしっかりと備えをして、後は天に委ねて生きる。
生きる事は、祈る事…。
いつ何が起きたとしても大丈夫という明るく強い心持ちで過ごしましょう。
私達は、前に進む為に生きている。
清濁併せ呑む事が出来る、真の強さを持っているのは人間だけです。
それぞれの花を咲かせる為に、日々を懸命に生き抜こう。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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